2014-02-12 第186回国会 衆議院 予算委員会 第6号
そういうもとにあって、財政を担ったのは陸軍省、責任者である宮司も軍人や陸軍大将らが当たって、中国への全面戦争が始まった翌年、一九三八年から終戦後の四六年一月までは、鈴木孝雄、陸軍大将をやった人がやったわけです。 神社といいますが、最初から戦争のための軍事施設として扱われました。そして、戦場に出かけていく兵士、軍人の間で、靖国で会おうが合い言葉にされた。
そういうもとにあって、財政を担ったのは陸軍省、責任者である宮司も軍人や陸軍大将らが当たって、中国への全面戦争が始まった翌年、一九三八年から終戦後の四六年一月までは、鈴木孝雄、陸軍大将をやった人がやったわけです。 神社といいますが、最初から戦争のための軍事施設として扱われました。そして、戦場に出かけていく兵士、軍人の間で、靖国で会おうが合い言葉にされた。
靖国神社というのは、昭和十六年に当時の靖国神社宮司の鈴木孝雄陸軍大将が、信行社という陸軍の将校団の機関誌があるらしいですが、それにこう言っておりますよ。だれを祭ってあるのかという問題について、「遺族の方は、其のことを考えませんと、何時まで自分の息子という考えがあっては不可ない。
ついこの間なくなられました鈴木孝雄元大将は、自分は雨のようやく漏るのを防ぎ得る軽度の粗末なぼろ屋に住まいつつも、死ぬときまで部下のことを心配されまして、何とか早くこの法案が通らないのかということを言い続けましてあの世にいかれたのであります。 次に、この法案に核当する者の昔の階級別を申しますると、総数は八千六百二名、これは昨年三十八年の一月一日の調査であります。